MOTHER2
ファミコンで発売された前作から5年、
糸井重里プロデュースの1994年に発売されたスーパーファミコンソフト。
子供達が主人公の現代物RPGです。
ドット絵の記号とテキストと音楽を用意して、
コントローラーを握るプレイーヤーに何を経験されるか、ということにおいて、
僕はここに一つのゲームの「完成」を見る。
僕が言うまでもなく、ゲームは今も進化している。
「MOTHER2」よりもすごい技術をもって生み出された作品はたくさんある。
しかしながら過去の特撮映画が、
最新のCGを駆使した新しい映画によってその存在を消されないように、
「MOTHER2」もまた心に残っている。
「MOTHER2」は「世界」を作ることに成功した。
言い換えるなら「世界」がそこに存在してしまうほどの要素を、
たっぷり盛り込まれた。
ゲームの懐がとても深くて、
でもそれはまっすぐに何メートル、ということではなくて、
手探りで探しても探しても次々と仕掛けに出会うようなそんな巨大さだ。
その要素というのは普通のゲームなら、
ストーリーの長さやイベントの量や、
収集欲をそそる膨大な数のアイテムだったり、
お茶を濁したようなミニゲームだったりするのだけれど、
「MOTHER2」は違う。
本来なら、
今上げたようなものがゲームとしての「懐」を深くする要素なのだろうけど、
「MOTHER2」はある意味正統に要素を盛り込んだと思う。
「MOTHER2」という世界に登場する「名前」はとてもユニークで、
アイテムも人名も敵キャラもそれだけでゲームの楽しさに華を添えている。
そんなおかしなものが存在する空間があって、世界が始まる。
「初めに言葉があった。」じゃないけれど。
それでいてそれぞれの町には
名無しのくせにとても個性的な人たちが住んでいて、
どの人たちからも素敵なメッセージが用意されている。
プレイヤーはゲームにおける必然以外に、
世界をくまなく歩かずにはいられないのだ。
(余談だけれど、キャラを7頭身ぐらいにしてしまって、
その縮尺に合わせた巨大な町を作り、
退屈な「移動」を延々とさせる最近のゲームってのは、
何なんだろう。)
その素敵な人々が住む町にはいたるところに看板が用意されていて、
それを調べるとまた、愉快なメッセージを読むことが出来る。
ご丁寧にも「MOTHER2」は現実の看板の役割をゲーム内でも採用していて、
つまりは町の中の看板は「宣伝」の色が強い。
普通ゲームの中に出てくる看板というものは
「武器屋は左」だとか「ナントカ山は北西」といった
プレイに直接的なナビゲーションをするものがほとんどだと思う。
しかしMOTHER2」に出てくる看板は、
お店や協会、団体の各種おかしなキャッチコピーが書かれているのだ。
ゲームの中に出てくるお店や政治家から
どこかの町のおばさんが語っていたある運動の会のもの、
いずれ行くことになる町の観光コピーなどさまざまだ。
こういった、一つ一つを見ればあまり価値が無いようなものだが、
それが集まってボリュームを持ったときに、大きな価値を持つことになる。
「MOTHER2」はそういった膨大な労力の積み重ねで世界を創ったのだ。
僕が何年かに一度MOTHER2をやりたくなる理由に、
この「世界」に行きたいということが大きい。
つまりあの町のあそこに住んでいる人に、会いたくなるのである。
ゲームをプレイしてストーリーを経て、町にたどり着き、
それぞれそこにしかいない人々に話しかけたくなるのだ。
そんなゲームは「MOTHER」以外に思いつかない。
これだけのボリュームが飾りつけとして加えられているんだから、
たまったもんじゃない。
MOTHER2は大作なのだ。
しかもその大作たるところが、無駄なCGやらなんやらではなく、
とても真摯に、真心を持った形で注がれている。
家族、友達、愛、希望と意思、善と悪、畏怖、人生の哲学。
シビれるセンスも抜群のユーモアもご機嫌なミュージックも。
「MOTHER2」には入れられてるものの量がハンパではないのだ。
僕はこのゲームのエンディング中、泣く。
それはもう「感動で泣く!」と一言で言いたくないほどの感情で泣くのだ。