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Dragon Ash/Cowboy Fuck!

Mustang!
1997年のアルバム「Mustang!」の3曲目だ。
当時、若干18歳の降谷建志はこの曲を作った。
しかしすでに前年に2枚のミニアルバムをリリースしているのだから、
ただただ驚くばかりだ。
(それに比べて18歳の頃の僕のくだらなさといったら!)
彼のこの時代の音楽が世に発表されている事を本当に幸福に思う。

若さゆえなのか、感情をある種剥きだしにし、
後の作品に比べれば絵画的、文学的な詞世界とともに、
“メロディアス”“ハードコア”とはっきりと2つのサウンドに分け、
先の2枚のミニアルバムが作られた。
その後一枚のシングルと「Mustang!」を作る。
この時代はまだまだセールス的にはイマイチで、
Dragon Ashが圧倒的な「光」で「若者」を牽引するのはまだ少し先の話だ。

リスナーとの良好な関係を手ごたえに、
降谷建志がそれなりに物事を見据えた上で、提示したポジティブ。
「ポジティブシンキング」なんて、
能天気なヴァカが発する無責任なものとは、一線を画していた。
恐らくは最も(数として)多くの「聴く人」にとって、
幸福だったDragon Ashの時代である。
そんな段階と、二枚のミニアルバムの頃の降谷建志の過渡を、
僕は勝手にこの「Cowboy Fuck!」に感じている。

まぁ言いたい事は輝かしく力強いメッセージを持っていた、
「陽はまたのぼりくりかえす」「Let yourself go, Let myself go」、
Dragon Ashをお茶の間に知らしめた今は亡きヒットシングル
「Grateful Days」などとはまたちょっと違うし、
2枚のミニアルバムや「Mustang!」中の曲とも少し異なるということだ。

具体的な曲の感想を書こう。
スカッ!と気持ちよく抜けるドラムと印象的なアコギが、
刻んでいくリズムが小気味良い。
それに物語のような描写を含んだ、冴え渡る降谷建志の詞と歌。
後の強い光とは性質が違う、光。
癒しでも救いでもないのだけれど、微笑むことができて、
気分によっては涙を流してもいいのだと思う。
また相変わらずの女性ヴォーカルの使い方の上手さも聴ける。
美しい、整っているという2つの意味を持って、きれいな曲だ。

曲中繰り返される、僕の好きなフレーズに

この世に一つだけ夢を見る暇さえもなくて
旅に出る勇気さえもない 好奇心は薄れて行くだけ
そう君の中にもある恐怖心


というものがある。
ただ無気力な若者を歌っているような気がするが、実はこの前後に、
海の底 静かに眠る 人魚達は今 何を狙ってる

風の中 おりてきたよな 青い鳥達は何故 海を目指す
というフレーズが入る。

この人魚と鳥は僕ら(だった)だろう。
ただふてくされている訳ではないし、
「この世に一つだけ夢を見る暇さえもなくて 旅に出る勇気さえもない」
というのは投げやりな感情の共有ではなく、肯定だと思う。
世界や自分自身に関してさえも、多くを見限った僕たちではあるが、
それでもどこかで「やってやりたい」という気持ちはあって、
またそうでなくてはならないのだ。
ネガな部分を忘れて、あるいは気づかずにいて、
ネガとは違う方向、反対の方向にはいけないのだ。

「カリスマ」「代弁者」とはた迷惑な役目を背負わされながらも、
それに耐え切る、圧倒的な体力や自信(耐え切れる!という自信ではなく)
があったあの輝かしい頃の降谷建志も良いが、
この「Cowboy Fuck!」を作った降谷建志も大好きだ。
ac